会社のロゴは、FRECKLE donutsと同じく、terminal.Incさんに作成していただきました。 terminal Inc. | design, planning and management世の中に機能するデザインを。デザインと企画とマネージメント | design changes communicationwww.terminaldesign.jp 続きをみる
この度、私、猿田伸幸は、長野県松本市にてRYOZO VISION 株式会社を設立し代表取締役に就任いたしました。松本は私が高校時代を過ごした街。東京に出てきてからは田舎には盆と小学に帰ることしかなかったんですが、たまたま7年ほど前に、親族の結婚式で11月に松本城に寄った際に、世界中から観光客の方々が来てらっしゃるのを見て驚きました。私の学生時代は、せいぜい駅で登山に来ている方を見かけることがあるくらいでしたが、欧米、アジア、様々なところからお城目当てに来ていらっしゃって驚きました。海外から多くの方は来て・・・
先日高知県地産外商公社様のコーディネートで社員たちと共に高知へ行って来ました!私に取り初高知。美味しいものたくさん!!という事で今回は、柑橘、野菜、魚介、塩を見に行かせていただきました。(参加者:タレーリン渡部シェフ、上原SARU幸田料理長、学大新井)結論、うますぎ。続きをみる
【はじめに】7月18日にSARU groupとしては初のテイクアウト専門店、FRECKLE donutsを代々木公園に程近い、渋谷区富ヶ谷にオープンいたしました。今までビストロなどレストランを運営して来た私達がなぜドーナツ屋さんにチャレンジするのか。一見すると華やかなオープニングですが、裏では様々な経緯があり今回の挑戦があります。今回は私、代表の猿田がいつも私たちを応援してくださる皆さまに、いつもとは少し違う経営者目線での話になりますが、その背景、私たちのことをお伝え出来たらと思います。長文になりますがお付き合い頂・・・
私は実に千葉に縁が深い。父の転勤で年長から小4迄を千葉市で過ごした。当時の記憶ははっきりとあり、自然豊かだが大企業の集合住宅が立ち並ぶ街で、毎日友達と日が暮れるまで遊び、帰ったら勉強をして夕食を食べて藤子不二雄のアニメを観てという日々を楽しく送っており、千葉に対する郷愁の様な想いは少年から青年になる迄ずっと持っていた。それもあり大学進学の際は千葉大学を選んだが見事に失敗、、、、翌年は東京への憧れが強くなり都内の大学へ進んだ。SARUを開業して数年後、大学時代の友人から彼の義理の弟を紹介したいと・・・
私にとって自由が丘は特別な街だ。大学進学が決まり、東京に行くまで、ウキウキが止まらず読んでいた確か「るるぶ」の自由が丘のページ。写真を通して目に刺さる、自分の田舎にはない、まるで欧州の洗練された街並みに魅了された。当時住んでいたアパートが自由が丘からほど近く、上京して真っ先に自由が丘に行った。特に目的がある訳でなくお金も無いから、いろいろなおしゃれなお店に入っては出てを繰り返す。あ〜東京に来たんだなと実感した日を今でもはっきり覚えている。始めて飲食業に触れたのも自由が丘だ。当時大学2年生の・・・
弊社には自慢の食の職人が多数在籍している。その中でも尾山台COZARUの店主・シェフであり、そしてお店のロゴの人物、メガネとお髭がトレードマークの村山裕亮の存在はとても大きい。新潟県十日町出身で学生時代にはクロスカントリーの選手だった村山シェフは、エコール辻出身でホテル勤務、その後「野菜の伝道師」と呼ばれ私がグローバルダイニング時代に大変お世話になった渡邊明シェフの元、AWキッチンで料理長として実力をつけてきた。弊社入社後、SARU学芸大学の料理長として、現在COZARUの女将として活躍する島袋有佳と二人三・・・
昨日2023.7/31をもちましてSARU白金の営業は終了させて頂きました。2012年9月25日の開店依頼、本当に多くの皆様のご愛顧を賜り改めて心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。長文且つかなり内向きの文章になりますが、ご一読頂けましたら幸いです。続きをみる
突然ですが7/31を持って創業店である白金店を閉店する事にしました。私個人にとって当然ながら大変思い入れの強いお店であり、苦渋の決断となりました。独立前より開業メンバーが重ねた努力が集約し白金店が誕生し、その後様々な出会いがありその跡を引き継いだ人達の努力があり今の弊社があります。私達も12年前皆若く、シャカリキにやってきました。燻製料理を編み出した時の喜び、初めてお店にお客さまがいらした時の喜び、多くの方にお越し頂けた興奮、夜中まで仲間と仕込みをし続けた事、一品のメニューを生み出すための喧々諤・・・
今、時代の大きな転換点を迎えていると感じています。私の青春時代以降長く続き、30年にも渡り克服出来なかったデフレが、結果的にコロナ、ウクライナ戦争という「外圧」により、物価高、人材不足、金融緩和も含む円安のトリプルパンチで終焉、遂に本格的なインフレへと向かっています。私達飲食業において、インフレは材料費高、水道光熱費高をはじめ、ありとあらゆるコスト増に結びつきます。また、コロナ前から感じていた働き手不足は、コロナが決定的な打撃となり、恐らく多くの方の他業種への移行、当然ながら少子高齢化も進み・・・
弊社の求人キャッチコピーであるこちらについて、説明したいと思います。その前に、ちょっと哲学的な事を書きますが、幸せな人生ってどんな人生でしょうか。金銭的に恵まれてても不幸だと感じている人、世間的に見て恵まれていないと見えても本人は充実していると感じた人生を送っている人、その差は何でしょうか?私は自分で自身を肯定でき、誰かや社会の為に役に立つことが出来る人生が、金銭面の豊かさ以上に人が幸せだと感じる根源ではないかと思っています。私は根本的に人は誰でも1つは恵まれている長所、才能を与えられて生・・・
最近、若い社員と時間を共にする事が多く、彼らと仕事をしていて、何十年もずーっと忘れていた、自分が仕事を始めたルーツ、荒削りでもがいた日々を思い出した。もう25年も経った。どのように生きたらいいか分からない大学生。続きをみる
秋は深まり2022年も終わりが近づいて来ました。2019年から始まったコロナ騒動も3年になり私達の生活に大きな変化を齎せて来ました。歴史を振り返ると1945年終戦から高度成長、家電や自動車に代表される輸出産業、ゲームやアニメといった娯楽コンテンツ産業は世界を席巻し、私が小・中学生であった80年代後半にはジャパンアズNO1というタイトルの本が本屋に広く並べられていた記憶があり日本経済の絶頂の空気感が私の肌感覚としても残っています。90年台のトレンディードラマの世界は淡い憧れで、まだバブルの色が強く残る中、上京し・・・
9/25にSARU白金は10周年を無事に迎えました。支えて下さっているお客様をはじめ、各関係業者様、生産者の皆様、いつもありがとうございます。また今までSARU、そして株式会社Rootの歴代のスタッフたち。皆さん一人一人の努力、尽力、実力がなければ今のRootの形を作って来ることが出来なかった。改めて感謝申し上げたい。白金店に飾ってある開業メンバー4人の木版画のアート(土屋幸生氏作)続きをみる
Fresh Seafood Bistro SARUが何とか軌道に乗った2014年の半ばくらいから、おかげさまで勤務希望者が増えたこともあり、海の次は山!ということで、次のお店の出店構想を練り始めました。続きをみる
Bistro SARUの2号店として、2013年10月代々木上原に、Fresh Seafood Bistro SARUを開店しました。続きをみる
前回、会社について簡単に紹介させて頂きました。今回は弊社が運営する店舗について紹介します。続きをみる
大木(弊社が提供するお店やサービス)を根っこ(Root・会社)が支え、一つずつ形や色が違う個性ある実(社員)を育てることを表した社章続きをみる